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母が平成26年(2014年)1月25日23時ころ他界しました。
この場を借りてご報告させていただきます。
先に、お断りしておきますが、この投稿は、色々とご意見をいただくこととは思います。
しかし、このブログの目的は、自分自身の日記であり、自分史です。
自分自身、祖先に興味を持つようになり、連絡先もわからないままの父、母の遠い本家への電撃訪問を試み、両本家を守る方々と交流を持ち、その上で強く感じたのは、後世に自分たちの記憶を引き継ぐ大切さを知ったからです。
とは言え、詳しいことは記さず、あくまでも記憶を無くさないために最小限のことを記します。
母が平成26年1月25日23時ころ他界しました。
翌日26日に、浴室内で横たわっている母を弟が発見し、既に手遅れでした。
25日21時ころまでは知人と一緒に外出していた事を確認しており、帰宅後入浴中、ヒートショックなのか、心筋梗塞を発症し、本人は気づかないまま意識を失ったと思われます。
もし、発見が早かったならば、と思うと、涙か止まりません。
平成25年11月30日まで同居していた自分の責任を強く感じています。
65歳でした。
年末も年始も、温泉などへの旅行をしていたくらい元気で、足腰は弱っていましたが、正直、まだまだ長生きすると思っていました。
一週間前、一言二言ではありましたが、電話連絡があり、話をしていました。
いつもどおり元気な口調で。
もしもし、お母さん。
あのね、リビングの蛍光灯が切れたの。
交換しに来てくれる?
自分でやろうと思ったけど、転んで頭打っちゃった。
でも頭は大丈夫よ。
でも、すぐじゃなくていいからお願い!
って。
翌日、家内と娘に交換に行ってもらって、その際も、既に退職した会社ではありますが手伝いに行ってくるといって、仕事にでかけたそうです。
確かに、ガンで一度は倒れ、糖尿を持っていましたが、ガンは摘出していたし、その後の定期健診でも、安定していたと聞いていたので、特に問題視していませんでした。
でも、
問題視していれば良かった。
問題視していれば、別居なんかしなかった。
心の底から、悔やんでいます。
母から、しばらく1人でゆっくり暮らしたいと言い出され、でも、万が一ですが、何かが起こるのは怖いし、自分自身転職したばかりでもあったので、しばらくの間、落ち着くまでの間、一緒に暮らしていました。
しかし、昨年夏、母は元気だったし、母の強い意思もあったので、しばらく別居することを決めました。
毎日アクティブに、いろんなところに出かけていたくらい元気だった上、僕と喧嘩なんかもするほどだったから、安心してました。
それでも、65歳ですから、何があってもすぐに顔を出せるようにするために、引越し先は、徒歩1分のところの建売に決めたんです。
でも、別居して55日目、他界。
悔しい。
涙が止まりません。
後悔しています。
今すぐ、ごめんなさいを言いたい。
ありがとうを言いたい。
バカヤロー!
一番大事にしていた愛犬プリンを残して逝くんじゃね〜よ
もう一度、会いたい。
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母が平成26年(2014年)1月25日23時ころ他界しました。
先に、お断りしておきますが、この投稿は、色々とご意見をいただくこととは思います。
しかし、このブログの目的は、自分自身の日記であり、自分史です。
自分自身、祖先に興味を持つようになり、連絡先もわからないままの父、母の遠い本家への電撃訪問を試み、両本家を守る方々と交流を持ち、その上で強く感じたのは、後世に自分たちの記憶を引き継ぐ大切さを知ったからです。
とは言え、詳しいことは記さず、あくまでも記憶を無くさないために最小限のことを記します。
母が平成26年1月25日23時ころ他界しました。
翌日26日に、浴室内で横たわっている母を弟が発見し、既に手遅れでした。
25日21時ころまでは知人と一緒に外出していた事を確認しており、帰宅後入浴中、ヒートショックなのか、心筋梗塞を発症し、本人は気づかないまま意識を失ったと思われます。
もし、発見が早かったならば、と思うと、涙か止まりません。
平成25年11月30日まで同居していた自分の責任を強く感じています。
65歳でした。
年末も年始も、温泉などへの旅行をしていたくらい元気で、足腰は弱っていましたが、正直、まだまだ長生きすると思っていました。
いつもどおり元気な口調で。
もしもし、お母さん。
あのね、リビングの蛍光灯が切れたの。
交換しに来てくれる?
自分でやろうと思ったけど、転んで頭打っちゃった。
でも頭は大丈夫よ。
でも、すぐじゃなくていいからお願い!
って。
翌日、家内と娘に交換に行ってもらって、その際も、既に退職した会社ではありますが手伝いに行ってくるといって、仕事にでかけたそうです。
確かに、ガンで一度は倒れ、糖尿を持っていましたが、ガンは摘出していたし、その後の定期健診でも、安定していたと聞いていたので、特に問題視していませんでした。
でも、
問題視していれば良かった。
問題視していれば、別居なんかしなかった。
心の底から、悔やんでいます。
母から、しばらく1人でゆっくり暮らしたいと言い出され、でも、万が一ですが、何かが起こるのは怖いし、自分自身転職したばかりでもあったので、しばらくの間、落ち着くまでの間、一緒に暮らしていました。
しかし、昨年夏、母は元気だったし、母の強い意思もあったので、しばらく別居することを決めました。
毎日アクティブに、いろんなところに出かけていたくらい元気だった上、僕と喧嘩なんかもするほどだったから、安心してました。
それでも、65歳ですから、何があってもすぐに顔を出せるようにするために、引越し先は、徒歩1分のところの建売に決めたんです。
でも、別居して55日目、他界。
悔しい。
涙が止まりません。
後悔しています。
季節ごとに旅行に必ず一緒に行ってました |
ありがとうを言いたい。
バカヤロー!
一番大事にしていた愛犬プリンを残して逝くんじゃね〜よ
もう一度、会いたい。
おかぁ
おかぁの笑顔は、しばらく見れないけれど、あの世が本当にあるならば、そこで見せてください。
もし、生まれ変わることができるのであれば、今の記憶は無いのかもしれないけれど、また親子の関係を始めたい。
おかぁが繋げてくれた命のバトン。
そして娘にも無事に成人してもらって、まだ見ぬ孫に、子孫にバトンをつなげていくために精一杯生きていきます。
今まで本当にありがとう!
おかぁの笑顔は、しばらく見れないけれど、あの世が本当にあるならば、そこで見せてください。
もし、生まれ変わることができるのであれば、今の記憶は無いのかもしれないけれど、また親子の関係を始めたい。
おかぁが繋げてくれた命のバトン。
そして娘にも無事に成人してもらって、まだ見ぬ孫に、子孫にバトンをつなげていくために精一杯生きていきます。
今まで本当にありがとう!