2014/01/29

母が他界しました。おかぁが繋げてくれた命のバトン。

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母が平成26年(2014年)1月25日23時ころ他界しました。

この場を借りてご報告させていただきます。

先に、お断りしておきますが、この投稿は、色々とご意見をいただくこととは思います。
しかし、このブログの目的は、自分自身の日記であり、自分史です。
自分自身、祖先に興味を持つようになり、連絡先もわからないままの父、母の遠い本家への電撃訪問を試み、両本家を守る方々と交流を持ち、その上で強く感じたのは、後世に自分たちの記憶を引き継ぐ大切さを知ったからです。
とは言え、詳しいことは記さず、あくまでも記憶を無くさないために最小限のことを記します。

母が平成26年1月25日23時ころ他界しました。
翌日26日に、浴室内で横たわっている母を弟が発見し、既に手遅れでした。

25日21時ころまでは知人と一緒に外出していた事を確認しており、帰宅後入浴中、ヒートショックなのか、心筋梗塞を発症し、本人は気づかないまま意識を失ったと思われます。
もし、発見が早かったならば、と思うと、涙か止まりません。

平成25年11月30日まで同居していた自分の責任を強く感じています。
65歳でした。

年末も年始も、温泉などへの旅行をしていたくらい元気で、足腰は弱っていましたが、正直、まだまだ長生きすると思っていました。

孫と七五三の時に僕が最後に撮影した写真だと思う
一週間前、一言二言ではありましたが、電話連絡があり、話をしていました。
いつもどおり元気な口調で。

もしもし、お母さん。
あのね、リビングの蛍光灯が切れたの。
交換しに来てくれる?
自分でやろうと思ったけど、転んで頭打っちゃった。
でも頭は大丈夫よ。
でも、すぐじゃなくていいからお願い!

って。

翌日、家内と娘に交換に行ってもらって、その際も、既に退職した会社ではありますが手伝いに行ってくるといって、仕事にでかけたそうです。

確かに、ガンで一度は倒れ、糖尿を持っていましたが、ガンは摘出していたし、その後の定期健診でも、安定していたと聞いていたので、特に問題視していませんでした。

2009年元旦、祖母の家で過ごした時の写真
でも、
問題視していれば良かった。
問題視していれば、別居なんかしなかった。

心の底から、悔やんでいます。

母から、しばらく1人でゆっくり暮らしたいと言い出され、でも、万が一ですが、何かが起こるのは怖いし、自分自身転職したばかりでもあったので、しばらくの間、落ち着くまでの間、一緒に暮らしていました。
しかし、昨年夏、母は元気だったし、母の強い意思もあったので、しばらく別居することを決めました。
毎日アクティブに、いろんなところに出かけていたくらい元気だった上、僕と喧嘩なんかもするほどだったから、安心してました。
それでも、65歳ですから、何があってもすぐに顔を出せるようにするために、引越し先は、徒歩1分のところの建売に決めたんです。

でも、別居して55日目、他界。

悔しい。
 涙が止まりません。
後悔しています。

季節ごとに旅行に必ず一緒に行ってました
今すぐ、ごめんなさいを言いたい。

ありがとうを言いたい。

バカヤロー!
一番大事にしていた愛犬プリンを残して逝くんじゃね〜よ

もう一度、会いたい。







おかぁ
おかぁの笑顔は、しばらく見れないけれど、あの世が本当にあるならば、そこで見せてください。
もし、生まれ変わることができるのであれば、今の記憶は無いのかもしれないけれど、また親子の関係を始めたい。

おかぁが繋げてくれた命のバトン。
そして娘にも無事に成人してもらって、まだ見ぬ孫に、子孫にバトンをつなげていくために精一杯生きていきます。

今まで本当にありがとう!

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2 件のコメント:

  1. 熊切です。
    そうでしたか・・・
    突然の事でお辛いと思います。
    写真好きなさいちゃんですので楽しい思い出がたくさん記録されている事でしょう。
    子供が巣立ってからはお孫さんもできて楽しい日々を過ごされたと思います。
    よくブログにも登場してましたからね・・・
    ご冥福をお祈り致します。

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  2. くまさん
    ありがとうございます
    メチャクチャ辛いです。

    返信削除